オープニング
おはようございます、駒居です。
本日は「ハラスメントの境界線を考える」というテーマでお話をします。
生徒さんから興味深いご質問いただきましたのでご紹介させていただきます。
ご質問
ハラスメントの境界線

駒居さんいつもありがとうございます。最近気になることがあります。SNSを見ていると「〇〇ハラスメント」という言葉をよく目にします。
職場でも「それはハラスメントになりますよ」という言葉が飛び交うようになりました。一方で何でもかんでもハラスメントと言い過ぎではないかという意見も見かけます。
特に異性との関わりや上司部下との関係など人間関係において何がハラスメントで何がそうでないのか?線引きが難しく感じています。ハラスメントに対しての正しい理解と健全なコミュニケーションを維持するためのバランスについて駒居さんの考えを聞かせていただけないでしょうか?



ということで、非常に今の時代らしい質問ですね。最近、SNSでのハラスメントに関する議論も活発になっているようなので、今日はこのテーマについて掘り下げていきたいと思います。
私自身も一つの会社の代表をやっているので、日頃からハラスメントに気をつけているつもりではありますし、もしそのように感じさせてしまったケースがあるのであれば、しっかりと反省しないといけないと思っているので、あくまで私の主観としてお考えを伝えていきたいと思います。
ハラスメントについて、私の考えを言う前に、私がすごく共感できたXのポストがあったのでそれを紹介させてください。
それがどんなポストかというと、タレントの武井壮さんという方はご存知ですかね、百獣の王として君臨されている武井壮さんとそしてGACKTさんのやりとり、これが私すごく共感できたのでその全文を紹介させてください。
武井壮さんとGACKTさんのポスト
武井壮さん
「好きな異性にご飯に誘われたら嬉しいからいくらしいが、好きじゃない異性に誘われたハラスメントなんだとさ。
アホなこと言うな。それはただ誘われた人と行きたいか行きたくないかただそれだけの話や。
行きたくない人から誘われることだって普通に生きてりゃ、しょっちゅうあるわな。
誘った相手が自分と行きたくなかったらハラスメントだ、なんて言われたら世の中おかしくなるて。
誘う前にどう判断したらええねん。超能力でもなきゃ無理やで。
嫌がらせする気かけらもない誘いに罪なんかあるんかいな。」
この武井壮さんのポストに対してGACKTさんがこのように反応していました。
GACKTさん
ほんと、武井くんの言う通り。
って言うか、こんなことを武井くんがいちいち言わなきゃならないなんて世も末。
増え続けた【〇〇ハラスメント】はいったい何個あるんだ?
セクハラ、パワハラ、マタハラ、モラハラ、ジェンハラ、スモハラ、スメハラ、ソーハラ、カスハラ、ハラハラ、リモハラ、バタハラ、アルハラ、オワハラ、カラハラ、ブラハラ…
なんでもかんでも「ハラ」をつければいいってもんじゃないだろ。
アホらしいにも程がある。
そもそも価値観の多様化から個々の尊厳や人権を守るために生まれた概念のはずが、今では自分たちの首を絞めて、まともなコミュニケーションすら難しい世の中にしてしまっている。
ハラスメントという言葉を乱用し過剰に煽ることで生産性は落ち、人との繋がりは薄れ、コミュニケーションの場も減っていく。気づけば「誰とも本音で話せない社会」になってしまう。
○○ハラを使わなければ解決できない社会、人間関係って一体何なんだ?
目を覚ませ。なんか悪い夢の中で必死にもがいているようだ。人と向き合うってのはもともとそんなに簡単じゃない。
だからこそ知恵を使い経験を重ね思考策をしてようやく身につくのが重宝されるコミュニケーションスキルなんだよ。そしてそれがそのまま人の価値につながっていく。
今コミュニケーションが上手な人たちって最初からそうだったわけじゃない。みんな失敗を繰り返しながらどうすればうまく人と付き合えるかを考えて到達しているんだ。
ゲームのような裏技もない、攻略本もマニュアルもない。
人は一人一人違うからこそ各個人にあった対応力、そして自分のスタイルが必要になる。
「同じ人、同じ考えの人なんていない。人はみんな違う生き物だ」
この前提さえちゃんと認識できていれば自然と相手を尊重するコミュニケーションができる。そういう人が増えればわざわざ○○ハラなんて言葉を使わなくても済む社会になる。
ボクの考えだってボクのもの。
納得する人がいても、そうじゃないと思う人がいても当然。
むしろ「私はこう思う!」って人がたくさんいた方が面白い。
気に入らない意見や人間をを〇〇ハラで遠ざけていたら成長は無い。
同じ人はいないし、答えは一つじゃないんだから。」
というポストでした。おおむね私自身納得と共感ができるものも、一部それはちょっと極論ではないかと思ったところもあるので、そのようなところにも触れながら、私自身の考えもお話ししていきたいと思います。
ハラスメントの本質的意味
ではまず、このハラスメントという言葉の本質の意味から考えてみるべきだと思います。ハラスメント、皆さん意味わかりますでしょうか。
これは嫌がらせやいじめという意味です。
つまり相手に嫌な思いをさせる、不快感を与える言動というのを指しています。ただし重要なのは「意図的に」相手を不快にさせるということが、ハラスメントの本質だということです。
最初のツイートにあったような好きじゃない異性からの食事の誘いなど、それが全てハラスメントになるわけでは、もちろんないわけです。
相手に対して嫌がらせの意図があるかどうか、そして相手が不快に感じたかどうか、この両面から判断する必要が前提としてあると思います。
ただ単に、自分が好きではない人からこういうことを言われた、ちょっときつめな言葉をかけられたから、これが全てハラスメントというふうに切り捨てるのは、言葉の本来の意味を歪めていると言えると思います。
確かに相手の気持ちを無視して、何度も食事に誘い続けるみたいなことはハラスメントに該当する可能性はあると思います。
しかし、一回きりの誘いや少し上司から怒られた、感情的になって何かものを言われたなど、そういったものをハラスメントというふうに決めつけるのは行き過ぎなのではないかと、僕個人としては思っています。
そしてGACKTさんの投稿で指摘されているように、今は本当にたくさんの〇〇ハラという言葉が生まれました。
弱者ハラスメントやハラスメントハラスメントみたいな言葉まで生まれているように、本当にどんな言葉一つ取っても○○ハラになるのではないかと、コミュニケーションがしづらくなってしまっているという側面も否定できないと思います。実際に、そういったことを嘆くような投稿というのも何度も目にしたことがあります。
本来ハラスメントという概念は、個人の尊厳や人権を守るために生まれたもの、そういうふうにGACKTさんもポストされていますが、今は過剰に使われてしまったり、むしろそのハラスメントという言葉を盾にして逆に強迫をするような、そんな人もいてしまっているのではないかというふうに、どうしても思わざるを得ない状態になっています。
実は私自身にもそうした経験があります。パワハラと言われてしまった経験があります。実は私自身もこのハラスメントという問題に直面した経験があります。それが何かというと、以前この会社を立ち上げた際に、法令違反を起こした部下がいました。そのままの意味で、法律違反を行なってしまった部下がいました。
そしてその部下に対しては普段から「こういうことはやらないで」ということを何度も何度も伝えた上で、そしてそれが全く改善されなかった。
その上でもっと普段から伝えてたことよりもひどいことを行ってしまい、それが法令違反になり、お客様に多大な迷惑をかけてしまった。
これに対して私はその部下を呼び出して会議室で叱責をしました。一部感情的になって声を荒げてしまったり、少し感情的な言葉を吐いたこともありました。
ただ、そうしたところ「密室でパワハラとモラハラを受けた」と言われてしまったのです。もちろん過度な叱責というのは問題だと思いますし、私自身未熟だったので感情的な表現を使ったり、感情的な言葉を言ってしまったというのは事実あると思います。
ただ、これは一会社の代表として法令違反をして、そして顧客に対して迷惑や不安な思いをさせてしまったという、この重大な問題に対しては適切でかつ厳正なる指導や処罰を行うことが必要だと思うのです。
それまでもがハラスメントというようなレッテルを貼られてしまうと、組織としての規律を保つことが難しくなってしまうのです。
例えば職場の何気ない会話や冗談だったとしても、場合によっては○○ハラというようなレッテルを貼られてしまうこともあります。それにより組織に属している人が発言に慎重になりすぎてしまって、本音での会話が難しくなっているということもあると思います。
「誰とも本音で話せない社会になってしまう」という指摘はとても重要だと思っていて、本当にそうだと思います。
人間関係において多少の摩擦や誤解は避けられないので、それを乗り越えて理解し合うプロセスこそが、良好な人間関係を深めるための機会になると思うのです。
このようなハラスメントや○○ハラという問題の根底には、相互理解の欠如があると思います。相互理解ができていないことがあります。
そもそも人というのはそれぞれが異なる価値観や経験、そして感受性、価値観を持っています。同じ言動だったとしても、ある人にとってはすごく刺さっていい言葉だなって思う人もいれば、ある人にとっては何とも思えません。別の人にとってはとても傷ついてしまったという場合があると思います。
このSnsClubラジオもそうです。この私の言葉がある生徒さんにとってはすごく奮い立たせられて勇気をもらえた、というお声をいただくこともあれば、ある生徒さんにとってはプレッシャーになってしまった、ということもあると思います。
だからこそ重要なのは対話だと思うのです。不快だと感じたら、まずはそれは「私にとって不快です」と伝えることがすごく重要だと思います。
そして伝えられた側は「そうだったのね、申し訳ないよ」と受け止める姿勢が必要だと思うのです。
このハラスメントという言葉を盾にして相手を一方的に非難するのではなくて、なぜ不快に感じたのかをちゃんと伝えて、相手もそれを受け止めて、そして互いに理解し合う、そういったコミュニケーションが私自身も重要だと思っています。
ハラスメント問題への向き合い方
ではどのようにこのような問題に、ハラスメントを受ける側、そしてハラスメントをするかもしれない側、両方がどのような向き合えばいいのか、いくつか私の考えをお伝えします。
1. しっかりとコミュニケーションを図る
不快に感じたらまずは相手に直接伝えるべきだと思います。「あなたの〇〇という言動は私にとっては嫌な気持ちになりました。これ嫌でした」ということを具体的に伝えてください。
多くの場合、相手は悪意なく言動している可能性というのがあるのです。その悪意のないものに対して「それ○○ハラですよ」というのはあまりにも酷だと思うので、しっかりと伝えてあげましょう。
2. 相手の意図を考える
そして2つ目、しっかり相手がなぜそれを言ったのかという意図を考えるようにしてください。
相手が本当に嫌がらせをする意図があったのか、それとも単に配慮が欠けていたりデリカシーがなかっただけなのか、意図も考慮した方がいいと思います。
悪意なく人を傷つけてしまうことというのは誰にでもあるので、それがブーメランになって自分に返ってこないように、しっかりと相手の意図を汲み取るようにしましょう。
3. 過剰反応を避ける
そして3つ目、過剰反応を避けましょう。何でもかんでもハラスメントというふうに決めつけるのではなくて、程度や文脈、関係性などを考慮することが重要だと思います。
相手を尊重するコミュニケーションをお互いに心がけていきましょう。
4. 建設的に対話する
そして最後、建設的に対話をしましょう。問題が何か生じてしまった時は相手を一方的に非難するのではなくて、どうすればお互いに気持ちよく過ごせるのか、それを建設的に話し合うべきだと思います。
それをした結果、それが破られてしまった、そしてそれが最終的に感情的な口論や感情的なお説教になってしまった、怒りに変わってしまったという場合、私はハラスメントではないと思います。
コミュニケーションの中で生じてしまった一つの事故であり、プロセスだと思います。
こういったアプローチというのは職場や学校だけではなくてプライベートな人間関係においてももちろん有効です。例えば夫婦間や親と子供の間なども、そういったことに関しても非常に有効だと思います。
特にSNSにおいては、例えば「モラハラ夫」や「パワハラ上司」みたいな言葉は散見されますよね。それ自体がもちろん戦略というのもあると思うのですが、本当にその人の旦那はモラハラなのか、その人の上司はパワハラをしているのか、というのを冷静に判断する必要はあると思います。
○○ハラをされたという相談を受けたり、 SNSでそういった投稿を見たりしたとしても、それが本当にハラスメントなのかというのは、それを見てる側は慎重に考えるべきだと思います。
実際には例えばその○○ハラと言っている人が過剰に反応していたり、状況が脚色されてしまっていたり、そもそもそのSNSを上げている人など、相談をしている本人にも問題があるケースは、多々あります。
やはり人は、自分の都合のいいようにものを伝えます。
今回私がモラハラと言われた、パワハラと言われたというのも、一部もちろん私のポジショントークや私が都合よく解釈している事実というのがあるかもしれません。
だからこそ、○○ハラをされたということを鵜呑みにして、「その人ひどい人だね」と「あなたは悪くないよ」というようなスタンスを取るのではなくて、しっかりと両面で理解をしようとする、その努力が必要だと思います。
①:しっかりとコミュニケーションを図る
②:相手の意図を考える
③:過剰反応を避ける
④:建設的に対話する
思いやりのあるコミュニケーションを
もちろんここまでの話というのはハラスメントの存在自体を否定するものではありません。実際に本当に深刻なハラスメントで悩まれている方がたくさんいることはもちろん知っています。
それを否定したり、私がハラスメントではどんどん進めていこうよ、というポジションであるということも、しっかりと否定をしたいです。
ただ、やはり一方的な主張だけで誰かを断罪してしまうのではなくて、状況や文脈、そして双方の言い分を考慮して、そして冷静に判断することが大切だと思うのです。
特に第三者がSNSなどの情報だけでハラスメントかどうかというのを判断するには、慎重であるべきだと思います。
そしてまた自分自身も知らないうちに誰かを傷つける言動をしているかもしれないということを意識しましょう。
実は自分も同じような言葉を返してしまっているかもしれませんし、あるいは嫌だと相手にはっきり伝えていないのに、相手が自分の言動で人を傷つけているということに気づけないケースというのもあるのです。
ハラスメントの問題というのは加害者・被害者という単純な二項対立、2つの構造ではなくて、相互のコミュニケーションの問題として捉え直すことによって、より建設的な解決策に近づいていくと思います。
ここまで、ハラスメントという言葉が持つ本来の意味と、今の社会での使われ方、どんな使われ方をしているのかというその乖離についてお話をさせていただきました。
もちろん、他者を傷つけてしまうような不適切な言動というのは許されるべきではありませんが、何でもかんでもハラスメントというレッテルを貼ることはかえってコミュニケーションを阻害しますし、そして自分の成長も阻害してしまうと思うのです。
そして人間関係を希薄にしてしまって、「そんな人生楽しいですか」となってしまう危険性があると思うので、しっかりと相互理解と対話をしていただいて、不快に感じたら率直に伝えて、伝えられたら謙虚に受け止める、という姿勢が真の意味で尊重と配慮につながると思います。
ハラスメントという言葉に頼らなくてもお互いを尊重し合えるコミュニケーションが可能な会社や社会、これこそが私が考えている良好な人間関係となります。
まとめ
本日は「ハラスメントの境界線を考える」というテーマでお話をさせていただきました。
今日も人生を変える1日にしていきましょう!